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東京地方裁判所 平成2年(ワ)10281号 判決

原告

白川元子

右訴訟代理人弁護士

紙子達子

被告

財団法人癌研究会

右代表者理事

吉野照蔵

右訴訟代理人弁護士

岩井國立

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金三三〇〇万円及び内金三〇〇〇万円に対する昭和六二年一二月一〇日から、内金三〇〇万円に対する本判決確定の日の翌日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、癌その他腫瘍に関する研究及び研究の奨励並びにその予防治療を行うことを目的とする財団法人であり、財団法人癌研究会附属病院(以下「被告病院」という。)を開設し運営している。

(二) 原告は、昭和一五年四月二五日生まれの女性であり、昭和六二年一一月三〇日、被告病院において乳癌の手術のため右乳房全部を喪失した者である。

2  右乳房全摘手術までの経過

(一) 原告は、昭和六一年一一月二〇日被告病院を受診した際、左乳房の外側上部と右乳房の内側上部に腫瘍があると指摘され、その後、外来で経過観察を受けていたが、昭和六二年二月一九日、被告病院の渡辺進医師(以下「渡辺医師」という。)の執刀により、左右両側乳腺腫瘍摘出手術(以下「第一生検」という。)を受けた。

(二) ところが、第一生検後も右乳房のしこり(腫瘍)が残存していたため、原告は、同月二六日の受診の際、被告病院の深見敦夫医師(現姓岡野・以下「深見医師」という。)にその旨を訴えたが、深見医師は、良性だから様子をみようと述べ、二か月後に受診するよう指示した。

(三) その後、原告は、右指示どおり、被告病院で定期的に受診していたが、同年七月から九月にかけて、右乳房のしこり(腫瘍)は次第に大きく、痛みを伴うようになり、原告は、同年一一月六日、深見医師の執刀により、右乳房内側上方のしこり(腫瘍)の摘出手術(以下「第二生検」という。)を受けた。

(四) 第二生検の結果、乳癌と診断され、原告は、昭和六二年一一月二五日被告病院に入院し、同月三〇日、右乳房全部を切除する全摘手術(以下「本件手術」という。)を受けるに至った。

3  被告病院の医療行為の過誤

(一) 腫瘍の取り残し

渡辺医師は、第一生検を行うに際し、右乳房について摘出すべき腫瘍を取り残したため、残置された腫瘍が増大、悪性化し、その結果、右乳房全部を摘出せざるをえないことになった。

(二) 腫瘍の増大・悪性化の放置

また、被告病院の医師は、第一生検の直後から右乳房に腫瘍があることを知りながら、これを早期に摘出することなく、漫然と経過観察を続けた結果、右腫瘍の増大、悪性化を招き、右乳房全部を摘出せざるをえないことになった。

(三) 乳房温存手術の施行義務・説明義務の違反

被告病院においては、本件手術当時、既に乳房温存手術を実施していたのであるから、原告に対しても乳房温存手術を実施すべきであったにもかかわらず、被告病院は、漫然と右乳房全部を摘出する本件手術を行った過失があるというべきであるし、また、少なくとも、被告病院の担当医師としては、本件手術に先立ち、原告に対し、乳癌の治療方法として乳房全摘手術のほかに乳房温存手術があること、乳房温存手術を行う病院、医師が他に存在することを説明する義務があったというべきであり、右説明義務が尽くされていれば、原告は右乳房全部を摘出する本件手術を受けなかったものである。

4  被告の責任

(一) 原告は、昭和六一年一一月頃、被告との間で、被告病院の医師をして原告の左右乳房の腫瘍を適切に治療することを内容とする準委任契約を締結した。

しかるに、前記のとおり、被告病院の医師による医療行為は右契約上の義務に反するものであり、その結果、原告は右乳房全部を失うに至ったものであるから、被告は、右債務不履行に基づき、原告の被った後記損害を賠償する責任がある。

(二) 原告が右乳房全部を失ったのは、前記のとおり、被告病院の医師による医療行為の過誤によるものであるから、被告は、民法七一五条に基づき、原告の被った後記損害を賠償する責任がある。

5  損害

(一) 原告は、婦人服店舗を経営していたが、本件手術による入院により、治療費、店舗の休業補償費といった経済的負担を被ったうえ、本件手術後も、体調が著しく悪く、右腕は腫れ上がって使えず、手術後一年近くもの間、右腕を挙げることもできなかったのみならず、現在でも脇から右腕にかけて鈍痛、しびれがあって重いものを持てない状況にある。また、女性にとって乳房を失った悲しみは筆舌に尽くし難いばかりでなく、手術痕について形成手術を二回受けたものの、なおその痕跡は消えず、社会生活上も、友人と温泉旅行に行かれないなどの不便を来している。

右原告の経済的、肉体的、精神的損害を金銭に評価すると金三〇〇〇万円を下らない。

(二) 原告は、原告訴訟代理人に対し、本件訴訟の提起追行を委任し、報酬として金三〇〇万円を支払う旨約し、同額の損害を被った。

6  よって、原告は、被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償として、金三三〇〇万円及び内金三〇〇〇万円については昭和六二年一二月一〇日(退院の日)から、内金三〇〇万円については本判決確定の日の翌日から、各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)、(二)は認める。

2  同2の(一)は認める。

同2の(二)は否認する。

同2の(三)のうち、その後、右乳房のしこりが大きくなってきたこと、原告が昭和六二年一一月六日第二生検を受けたことは認めるが、その余は知らない。

同2の(四)は認める。

3  同3の(一)ないし(三)は争う。

仮に、第一生検の時点で癌が検出されたとしても、本件手術と同様の手術を行うことに変わりはなく、原告主張の(一)、(二)は理由がない。

また、昭和六二年当時、乳房温存手術は、未だ研究途上にあり、確立された治療方法ではなかったし、まして、原告のように右乳房の内側上方に腫瘍が存する場合には、癌遺残の危険を犯して乳房温存手術を行うことはおよそ考えられなかったのであって、被告病院には、乳房温存手術を実施すべき義務はなかったし、原告主張のような説明義務を負うものでもないというべきである。

4  同4の(一)、(二)は争う。

5  同5の(一)は争い、(二)は知らない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1の(一)、(二)の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、原告が右乳房全摘手術を受けるまでの診療経過についてみるに、請求原因2の(一)、(四)の事実及び(三)のうち、原告の右乳房のしこりが大きくなってきたこと、原告が昭和六二年一一月六日第二生検を受けたことは、いずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実と〈書証番号略〉、証人霞富士雄、同渡辺進、同岡野敦夫の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  原告は、昭和五九年三月に右乳頭部から分泌物が出ると訴えて被告病院を受診し、細胞診や乳管造影検査などを行った後、同年九月六日、右乳房の内側上部の腫瘤を切除する生検を受け、切除片検査の結果、乳管(嚢胞)内乳頭腫と診断された。

2  その後、原告は、昭和六一年一一月、左右の乳房にしこりがあることに気づき、同月二〇日、被告病院を受診したところ、診察した医師(梶谷名誉院長)は、触診により左右乳房に一個ずつ繊維腺腫様の腫瘤を認め(右乳房のそれは乳頭から内側斜め上方に七センチメートルの位置)、レントゲン検査を施行した。同年一二月四日には、超音波検査(以下「エコー検査」という。)が施行され、右乳房の腫瘤の試験切除をすべきことが指摘されたが、更に、昭和六二年二月六日、深見医師が原告を診察した結果、同医師は、触診により右乳房の内側上方(乳頭から斜め上方に七センチメートルの位置)に大豆大の腫瘤一個、左乳房の外側上方に小指大と小豆大とが二つ組合わさったような腫瘤をそれぞれ認め、乳管内乳頭腫の疑いを持ち、両方の腫瘤とも摘出して生検することを指示した。

3  昭和六二年二月一九日、原告に対する第一生検が実施されたが、右手術を担当した渡辺医師は、事前に原告のカルテ、レントゲン写真等を取り寄せて生検の内容を把握したうえ、手術に際しては、触診及び物差しにより腫瘤を確認したところ、外来診断時のカルテに記載された位置にそれぞれ腫瘤を確認した。触診によれば、右乳房の腫瘤は示指頭大の大きさで、その周辺部には他に腫瘤は認められなかった。そこで、渡辺医師は、右触診で確認した部位を切開し、腫瘤全部を摘出したが、右乳房の腫瘤は限局された病変で、その境界は明瞭であり、周辺に他の病変を窺わせる所見は認められなかった。

第一生検による組織診の結果は、右乳房内側上方の腫瘤(6×7×7ミリメートル)は乳管内乳頭腫、左乳房外側上方の腫瘤は繊維症であり、いずれも良性のものと診断され、同月二六日、深見医師は、被告病院を受診した原告に対し、右検査結果を説明し、次回は半年後の八月に来診するよう指示した。

4  ところが、昭和六二年四月一七日、来院した原告を診察した深見医師は、触診により右乳房内側上方の第一生検の切開による傷痕に近接して小指大の腫瘤を認め、血腫を疑い穿刺細胞診を試みたところ、血液が出て腫瘤は消失した。

もっとも、同月二四日の診察の際、深見医師は、一七日と同一部位に再び腫瘤を触知したが、一七日の細胞診の結果がクラスⅡ(良性)であったことから、当面、経過をみることとし、次回は一か月後に来診するよう指示した。

深見医師は、同年五月二二日の診察時にも前記の腫瘤が認められたことから、血腫以外の病変の可能性を考え、エコー検査を実施したところ、乳頭腫と思われる所見が得られた。しかし、乳頭腫は良性と悪性の区別が組織学的に見ても極めて難しく、触診では不可能なことから、深見医師は、同年六月一二日の診察時に、右腫瘤を摘出して生検することを薦めたが、原告がとりたくないと答えたため、次回一〇月の来診を指示した。

5  昭和六二年一〇月九日、原告が被告病院を受診した際には、前記右乳房の腫瘤は直径一五ミリメートルの大きさとなっており、レントゲン検査では繊維腺腫、エコー検査では嚢胞内腫瘍、触診上は嚢胞内乳頭腫を疑わせる所見であった。

同月一六日、深見医師が診察したところ、右乳房の腫瘤は更に直径二〇ミリメートルと急速に増大し、房状を呈しており、深見医師は、癌を疑って、原告に対し腫瘤の摘出を薦めた。そして、同年一一月六日、深見医師の執刀で第二生検が実施され、右乳房の腫瘤が摘出されたが、その際の局所の状況は、第一生検の手術瘢痕に接してさまざまな大きさの六個の腫瘤が多発しており、最大の腫瘤は直径二〇ミリメートルあって嚢胞内乳頭腫が疑われたが、病理検査では嚢胞内乳頭腫の一部に乳管内癌が検出され、乳頭腫と癌が混在した極めて珍しい症例と診断された。

6  昭和六二年一一月一三日、原告は、深見医師から病理検査の結果を癌と告げられ、入院して手術することになり、同月二五日被告病院に入院し、手術内容について説明を受けたうえ、同月三〇日大小胸筋を温存する非定型的乳房切除術の方法により本件手術が行われ、同年一二月一〇日退院した。

以上のとおり認められ、〈書証番号略〉及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する記載及び供述部分はたやすく採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三そこで、原告主張の医療行為の過誤の有無について検討する。

1  腫瘍の取り残しについて

まず、〈書証番号略〉及び原告本人尋問の結果中には、渡辺医師が第一生検に際し右乳房について摘出すべき部位とは異なる何でもないところを切除した旨の記載及び供述部分があるが、前記認定のとおり、渡辺医師は、事前にカルテ等を検討したうえ、触診及び物差しで腫瘤の位置を確認して、第一生検を実施しており、深見医師がカルテで指示したとおりの腫瘤を摘出したものであって、このことは、本件手術により摘出された右乳房標本には第二生検で癌が検出された部位に第一生検の切開の傷痕が残っていること(〈書証番号略〉、証人渡辺進の証言)からも明らかであって、右記載及び供述部分はたやすく採用することができない(なお、〈書証番号略〉の図示は、同号証の四一頁の写真と比較しても、明らかにその正確性を欠くものであり、原告の右供述等の裏付けとなりうるものではない。)。なお、外来診断時の触診では腫瘤の大きさが大豆大とあったのに対し、摘出されたそれは6×7×7ミリメートルと小さかったことは前記認定のとおりであるが、証人霞富士雄、同渡辺進の各証言によれば、触診では皮膚の上から腫瘤の周囲の脂肪組織を含めて触知することから、実際に摘出した腫瘤よりも大きく計測されるのが通常であることが認められるのであって、触診による摘出前の腫瘤の大きさと摘出された腫瘤の大きさとが異なることは、腫瘤の同一性を何ら疑わせるものではない。

右のとおり、第一生検において、渡辺医師が摘出すべき部位を誤り、腫瘍を取り残したとの事実は認められない。

ところで、右乳房の第一生検の切開による傷痕に近接して新たな腫瘤(第二生検で摘出したもの)が存在したことは、前記認定のとおりであるが、しかし、その腫瘤が、第一生検の当時から存在していたものであるかどうかは必ずしも定かでなく、前記認定したところからすれば、仮に存在していたとしても、当時は未だ触診によって検出できる程度の大きさではなかったとみるのが相当であるし(証人霞富士雄の証言によれば、乳房の場合、一般に触診によって検出できる腫瘤は直径五ミリメートル程度以上である。)、また、渡辺医師は摘出した腫瘤の周辺部についても病変の有無を確認していることからすると、第一生検後に新たな腫瘤が認められたからといって、第一生検において摘出すべき腫瘤を取り残したものと速断することはできないというべきである。

以上のとおりであって、第一生検において腫瘍の取り残しがあったと認めることはできず、この点に関する原告の主張は理由がない。

2  腫瘍の増大・悪性化の放置について

原告は、被告病院の医師は、第一生検の直後から右乳房に腫瘍があることを知りながら、これを放置した旨主張し、〈書証番号略〉及び原告本人尋問の結果中には、第一生検直後の昭和六二年二月二六日の診察時に、深見医師に対して、右乳房にしこりが残っていると告げている旨の記載及び供述部分がある。

しかし、前記認定のとおり、当日は、深見医師から原告に、第一生検の結果についての説明がされ、次回は半年後の八月に来診するよう指示しているのであって、原告が供述ないし陳述するようなやりとりがあったとみるのは不自然であること、深見医師はそのようなやり取りがあったことを否定していることなどからすると、右記載及び供述部分は、たやすく採用することができないというべきであるし、前記認定したところからすれば、深見医師は、昭和六二年四月一七日に新たな腫瘤を触知した以降、細胞診、エコー検査を実施し、原告に対して生検を薦めるなどしているほか、その後も、諸検査を行い、同年一一月六日には第二生検を実施して、癌を検出するに至っているものであって、その間、漫然と放置していたものでないことは明らかである。

右によれば、被告病院の医師が、漫然と経過観察を続け、腫瘍の増大、悪性化を招いたとの原告の主張は理由がない。なお、仮に第一生検後もっと早い時期に癌が検出されたとしても(原告が生検に応じなかったことはさておき)、証人霞富士雄の証言によれば、その癌の治療のためには右乳房を摘出する本件手術を実施するほかなかったとみるのが相当であるから、この点においても原告の主張は理由がないというほかない。

3  乳房温存手術の施行義務・説明義務の違反について

〈書証番号略〉、証人霞富士雄の証言によれば、次の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  乳癌の手術方法は時代とともに変遷を経てきており、世界的には、一九七〇年代後半からは、それまでの定型的乳房切除術(大小胸筋を含めて乳房の全てを除去)にかわって、胸部の醜形がより少ない非定型的乳房切除術が普及するようになったが、その後、更に乳房の温存を図りたいという観点から、欧米においては、腫瘍を含む乳腺組織及びその周辺組織を摘出し、他の部分を温存する乳房温存療法が試行されるようになった。

(二)  しかし、我が国では、現在も非定型的乳房切除術が一般的であって、乳房温存療法に対しては、癌を遺残させる不安あるいは潜伏癌に対する不安とか、乳癌に対する放射線治療の歴史の浅さなどから、懐疑派ないし否定派が乳腺外科医の主流を占めてきたのが実情で、昭和六一年開催の乳癌研究会での全国主要七九施設のアンケート調査によれば、昭和六〇年現在、施行された乳癌手術のうち乳房温存療法によるのは僅かに0.4パーセントをみるにとどまっており、昭和六二年当時も、一部の医療機関で独自に適応を定めて試行していた程度であった。

(三) 平成元年に至り、厚生省助成による「乳ガンの乳房温存療法の検討」班(班長・被告病院の霞富士雄乳腺外科部長)が初めて結成されて、日本の代表的な九施設による研究が開始され、平成三年にその二年間の研究をまとめた中間報告が発表された。右中間報告によると、乳癌に対する乳房温存療法では、およそ四分の一の症例で切除後の断端に癌浸潤が認められ、局所に癌細胞が残ってしまうが、そのような癌残存例でも術後に放射線照射を加えて長期にわたって慎重に経過観察すれば、乳房温存療法を継続できるであろうとしている。

(四) 被告病院では、昭和六一年七月から、症例を選んで乳房温存手術を始めたが、癌を乳腺断端あるいは乳房内の転移経路に遺残させないため、同手術を施行する癌の位置は、乳房の外側上方に存在するものに限定しており、したがって、本件手術当時、原告の右乳房の癌(内側上方に存在)は右乳房温存手術の適応を欠いていた。

右認定したところによれば、我が国においては、本件手術がされた昭和六二年当時、乳房温存療法は、一部の医療機関で実施された例があるにとどまり、その適応、方式、安全性、有効性について定着した見解が存在していたわけでもなく、未だ乳癌の有効な治療方法として確立されていなかったというべきであるから、そもそも被告病院において、原告の乳癌の治療方法として乳房温存手術を実施すべき義務があったとはいえないし、当時、被告病院が症例を選んで乳房温存手術を実施していたとしても、前記認定のとおり、原告の乳癌がその適応を欠いていた以上、原告に対してこれを実施すべき義務があったということもできない。また、本件手術当時、乳房温存療法が未だ確立された治療方法でなかったことからすれば、被告病院としては、本件手術に先立って、原告が主張するような乳房温存手術という方法の存在等について原告に説明すべき義務があったということもできない。

したがって、この点に関する原告の主張もまた理由がない。

四以上によれば、原告の本件請求はその余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないことに帰するから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤久夫 裁判官山口博 裁判官金光秀明)

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